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『中堅座談会』

中堅座談会

最初にまず、自己紹介からお願いします。

倉橋
営業部の倉橋です。部長をやっています。リーダーとして心掛けている事は、個々の営業マンの相談に乗ったり、指示を出したり出来ればと思っています。
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倉橋営業部 部長

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村上大阪営業所 所長

村上
大阪営業所、所長を任せて頂いてます。営業からメンテ、工事の現場監督、手配関係と営業所全体の業務を行っており、バタバタとしていますが楽しく仕事しております。
工藤
プラントエンジニアリング部、係長の工藤です。主に設計施工、施工の現場に出向き現場監督ということが多いです。心掛けていることは無事故で工事を終わらせること。使いやすい設備をお客様に提供することです。
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工藤プラントエンジニアリング部 設計課 係長

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飯田プラントエンジニアリング部 設計課 設計統括責任者

飯田
プラントエンジニアリング部、設計の飯田です。設計統括責任者になります。私の目指すことは、誰でもできる設計、管理しやすい設計の方法論を構築する事。そして後輩達に継承していく事だと考えています。
大矢
メンテナンス課、次長を任せて頂いている大矢です。現在は、部下4名の育成が主業務になっています。2年前に入社した部下が、ひと通りのメンテナンス業務を実施できるようになり、彼にも新入社員への指導を任せています。
現状では、まだ自身がプレイヤーとして動いている面が大きいので、今後は課全体のマネジメントを強化していきたいと考えています。
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大矢プラントエンジニアリング部 メンテナンス課 次長

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野村営業部係長兼 電子部品営業部

野村
営業部、係長の野村と申します。私の場合は直属の部下はおりませんが、20代の後輩社員から営業業務での相談事を聞いたりしています。また、電子部品営業部の主担当も兼任させて頂いています。
このビジネスの拡大は自分自身にかかっていると思いますので、今後更に飛躍出来るよう頑張ります。
廣嶋
東京営業所の廣嶋です。業務は、関東エリアの営業、メンテナンス、施工時の現場監督をしております。心掛けていることは、出先での機動性です。色々な試みができる部署だと思いますので、新しい技術に取組み、進んでいければと思っています。
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廣嶋営業部 部長兼 東京営業所 所長

司会
スイレイは45年の企業ですが、皆さんの勤続年数は?
倉橋
26年。
野村
10年。
村上
21年。
廣嶋
23年。もっとあったかも。24年。
大矢
26年。
飯田
7~8年。
工藤
24年です。
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最初にまず、自己紹介からお願いします。

大矢
かなり変わってはいると思います。まあ、同じような面もあるとは思います。
司会
どんな面が変わったのでしょうか?
大矢
やはり社長が変わったというのが大きいですね。非常に良くなったと思います。今までの会社のルールも変えてきているし、社員旅行にも行くようになったかな(笑)
司会
倉橋さんどうですか?営業面での変化はありますか?
倉橋
メッキ業界ではネームバリューがあり、認知されていると思います。
うちの経営状態まで皆さんよく見られていて、「スイレイ儲かってるね」とお声をかけられる事もあります。しかし反面、小さい規模の昔馴染みのお客様からは「うちは相手してくれないのかな」と言われてしまう事もありますね。スイレイの排水処理設備を長年使って頂いている事はとても有難いのですが、ほとんど更新されていないお客様には、営業としては足が遠のいてしまっているのが正直なところです。
近年はお客様の規模が大きくなってきました。仕事の内容自体は変わっていませんが、メッキ業界のお客様が半分以下に減ってきています。仕事のボリューム全体も変わっていないのですが、お客様自体が大規模になられたり、それに伴い、関連するところからお仕事を頂くという事で、以前よりも大手のお客様が増えてきています。
工藤
お客様筋が変わったというのは感じます。入社した当時は自動車関連オンリーでやっていたところが、2000年に入った頃から電子部品関係の仕事が入るようになり、お客様筋が一つ広がったと思います。2000年代には、今度は航空機関係。現場に行っているのでそういったことを感じていますね。
廣嶋
変遷という形で概要はそうだと思うんですけど、私の中で危惧するのは、本来は専業メッキ業として色々なことを教えて頂いた会社だと思うのですが、一つの大きな転換期の中で、そういう部分が継承しきれていないのではないかと。それが勢いだけで、突き進んでいいのかなとも思うんですよね。本来の専業メッキ会社のお客様が減っているといいつつも、色々と教えて頂く事も多々あると思うんです。従来は上手にうちが拾い上げていた事が、今は出来なくなっているのではないか。片一方で大きな仕事があるという事もありますが、そういった事を看過してしまうと、あるとき我社の強みが揺らぐのではと、少し危機感を持っています。
村上
私の入社は平成7年。当時の大阪営業所では、名古屋本社が行っている工場排水処理設備、メッキ排水設備、表面処理排水設備ではなく、主にゼネコン業界の仕事だったんですね。下水道工事やトンネルを掘った際の濁水処理設備の期間リースを行っていました。 しかし情勢の変化に伴い、2~3年後には期間リースの仮設設備から撤退し、工場排水設備へと変わっていきました。私の中では、業務内容が全く切り替わり、2~3年間培った仕事がゼロになるという経験をしました。
社員も私より先輩たちは結構残っていますが、若手は結構やめているんです。スイレイは少数精鋭という言葉を使いますが、昔は叩き上げだったんです。昨今は若手社員が揃ってきていますので、基盤をもっと積み重ねる必要があると思います。
野村
私は社歴10年で、水処理関係の営業としては6年目になりますので、20年前のスイレイとの比較はできませんが、入社当時は今のような研修はなくて、基本的に実務経験から学んでいました。しかも私は文系でしたから水処理に必要な化学知識は全くなく、上司、先輩方に一から教えて頂きました。
司会
飯田さんは8年ということですが、設計を担当されていることの難しさを教えてください。
飯田
スイレイに携わってからの年数はまだ浅いですね。実際はこういう感じなんだなと思って、現場も設計も経験して来ました。 当初から知らない事づくしという感じで。その中で自分の設計力のどこを活かせばいいのかを模索し、今もその最中です。私が携わったころから、業務の傾向が変わって来たように感じます。例えば、排水のリサイクルというタイプの仕事に携わらせて頂きました。大手のお客様、小規模のお客様に対する接し方、それぞれの携わり方など、組織や仕組みに合わせた対応を実感しています。今まで経験してきた自分の引き出しを、どう出せるかという事を感じながら、日々業務に取り組んでいます。